吉岡山の音ネタ

アルバム制作・プロモーション・ライブ等、ヒイヒイ言いながらもまったり活動しているバンド「吉岡山」のブログ。Vo&Gは音楽講師やってます。

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久しぶりにネットカフェなんぞに来てみている岡です。


今日、昼休みに兄と会った。

兄は自分に劣らず音楽人間で、
小学生の頃から英語の歌詞を父にカタカナで書いてもらい歌っていたり
夕食時にはしょっちゅう箸で食器ドラムをやっててうるさかったという人だ。

中学から吹奏楽でトランペットを吹き始め四半世紀経った今でもやっている。



兄は4月のアタマに演奏会があるらしい。
ちょっと楽器(人)が足りないのでエキストラを使うと言う。

どうしてそういう話になったのかは忘れたけれど
(多分トラを頼む人材という事だったような)
「若い奴は結構優秀な音大生でもイマイチなんだよなぁ」みたいな話だ。

まぁ音楽センスと肩書きは全く関係無いというのは自分も経験済みです。
これまで何度もなんたら優秀賞をもらったバンドや
アメリカの超有名音楽院出身だのに(言葉は悪いが)騙されてきた。

しかし自分は若いから駄目っていう事は全く無いと思っています。
若くても経験と感受性があれば良いのかもと思った。

それに凄く若いミュージシャンに感動させられることも勿論多々あるしね。



しかし「長い年月をかけたものの良さ」というのは確かにあって
それは短期間で大量に同時間練習をやっても身に付くものではないのかもしれない。

きっと楽器を練習していないときも・・・
例えばTVを観ているときも、買い物先の有線のBGMでも
日常にはあらゆる場所に音楽が流れていて

無意識の音楽の蓄積。これも音楽性に多大な影響があるでしょう。

また音楽というものは流行があるから、長く人間やってれば(笑)
たとえコアな音楽ファンじゃなくても自然と色々なジャンルの音に触れやすい。

音楽的な感受性が豊かな人間なら無意識のうちに
どんどん脳ミソに自分が好きな曲、フレーズ、音色などが
ライティングされていくのだと思う。

もちろんただたくさん聴いただけじゃ駄目で
「自分が忘れられないような良いものにどれだけ沢山出会えてきたか」という事でしょう。



人は生きてれば色々あるから、長い時間はそれだけ沢山の
心の状態を過ごす。

音楽はその時々の心の「今その瞬間」に共感するものだから

長くやってると「そのとき響いた音」が豊富になるんですねきっと。

「こんなときは、こんな音が、こう心に響く」っていうのが
解ってくるのには経験が必要なのかもしれない。

そう考えると音楽ってスポーツ選手とかと違って
演奏の運動能力はともかく音楽性のピークは死ぬときってやつか?



僕等全てのミュージシャンはどんどん良くなっていく。

そうありたい。






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それをどう捉えるか、が難しいのですが・・・あ、岡です。




音楽(音楽に限らず創作物は皆そうですが)
をつくるにあたってそれぞれの方向があって・・・

継承していくヒト
継承して発展していくヒト
破壊してイチからの新しいものを希求するヒト等。

本人の意識はどうあれ、みんな少しづつこれらを「全て」内包しながら
自分を通して偶然にも出来上がる個人のバランスを
打ち出していく訳ですが・・・・

リスナーは新鮮さや個性を欲しがるようにみえて
意外とそうでもなかったりも。

ようは自分の音楽経験に照らし合わせて
「理解できる新しさ」を欲しがる。
無意識にポピュラリティを無視した作品を除外します。
(閉鎖的なサブカルチャーな人達を除く)

新しい音楽とはいえ1曲30秒の歌モノなど通用しづらいし
2小節ごとに延々と転調し続ける訳にもイカンのです(極端な例ですが)。

共感を得ようとしたら。

だから最低限のフォーマットに
従いながら異端と共感の「崖っぷち」を探ることになる訳ですが

・・・何が言いたいのかというと

そのフォーマットとの戦いを
ハナッから放棄しているアーティスト(自称)が多いコトに
ムキー(怒)っとなるんです!!

ムキキー

・・・いやいやホントはその位では腹は立ちません。

大好きな音楽へのリスペクトは良いし「素敵なルーツの再現の仕方」も
あるだろうし。

腹が立つのは自分のやっている音楽が
わりと高度な音楽理論や技法・演奏を必要とする音楽だからって
ヒエラルキー的思想を(僕等の音楽は高尚です的な)持つヤツ。

こういうヤツの中にその「高度な音楽理論や技法・演奏」を盾にして
実質は「過去の音楽の模倣」しかやっていない輩が多いのだ。
その創造力の無さを露呈しているコトも気付かず・・・

・・・いやいやいやホントはまだその位では腹は立ちません(笑)

しかし僕が見たあるヤツは
演奏や音楽技法が未熟なモノを侮蔑していた

この太字部分に本気でアッタマ来るわけです!



ある日のブッキングライブで
拙い演奏、ちょっとイビツなオリジナル曲の若いバンドを観ていたベテランおやじ。

一言「観ているほうが恥ずかしくなるね」などとほざいていました。


恥ずかしいのはアンタの偏狭さだろが!! 


そしておやじの演奏は
余裕の顔で過去の「演奏が難しいと言われる」スタンダードの模倣。
んで観てる人はそれなりに感心したりしちゃってる。


アンタのは音楽じゃなくて運動ですから!! 


何十年もかけてラフマニノフの難曲を弾きこなそうとする情熱は
素晴らしいとは思います。

しかしそれは
「そんな人だらけになったら後世に何が残ると言うのだ?」
というコトを解った上でやらなければならない。

オリジネイターへの敬意を忘れてはいけない。

だから僕はフォーマットと戦いながら
オリジナルをつくりたいと思うのです。

自分にたくさんのものを与えてくれた「音楽」へ
自分も貢献しなければならない。
誰かの遺産を食い潰してばかりはいられないのです。



僕は自分の生徒が「オリジナルを作ってみたんですけど・・」と
はにかみながら弾いてくれる瞬間が、とても嬉しいです。







テーマ:作詞・作曲 - ジャンル:音楽
夜明け?

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どこに続く?

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ヒトの営み?

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ヒトの営み。

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また音楽と関係無いようですが

どこかの音楽家達は

楽譜や言葉による感情(音楽)の伝達に限界を感じ
映像・画像によるそれを模索しているそうです。

音楽が浮かぶでしょうか?



テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
アタマがパンパンになっています岡です。

何故かと言うと。



結構前から自分は歌うときピッチ(音程・音高)を
低めにとってしまう欠点がありまして

最近はチューナーを前に楽器を鳴らしつつ
「あーーー♪」と発声ピッチを鍛えていたのです。

しっかりと息を整えれば音揺れは大分改善されるのですが
狙った音よりも少し低くても合ってるように聴こえる場合が多い。

あれれ?耳音痴?しかし・・・
正しい音より少し高いとすぐ解る。

ギターでベンド(チョーキング)しても
そんな傾向。ほんの少し低い~ジャストなら気にならないが
少し高いと何だか気持ち悪い。

耳が正しいピッチが判断できないと練習にもならないので
やばいなーと思っていたところ

ヴァイオリンの講師とピッチについて話ができた。

基本的にヴァイオリンはその状況においてピッチを調整するコトが
演奏技術として当然あるのですが
「ピッチのズレはどの位までは許容範囲?」と訊いたら
「数値としては(その時々で変わるから)解らない」
みたいなコトを言っていました。

質問を変えて・・
その講師さんは20代女性なので、まさか
聴く音楽がクラシックだけということは無いだろうと思い
「TVやラジオ等で良く聴くいわゆるJ-POPで
”この人ならピッチのズレが気にならない”ってアーティスト居る?」と聴いたら

「居ませんねー」って。

・・・・彡(-ω-;)彡  自分そんなに気にならない

・・・ショックです。講師ヴァイオリニストの耳には到底敵わないのか。

でもボーっと聴いてる分には全然気にならないらしい。
まぁ確かに僕が聞いても「うわ音痴だな」ってPOPSはあるけど。

しかし!

純正律」というものを詳細に調べたところ・・



純正律とは音高を周波数の値で表したとき
協和する(ハモる)「事実上の」周波数比の音階調律です。

音程は周波数比がシンプルな整数になるほど協和するのですが
それを楽器の1オクターブにまとめると隣り合った半音音程の
比率は音列の箇所により値がばらばらになるのです。

そうなるとひとつの純正律はひとつの調(Key)にしか
対応できなくなり、転調できなくなります。

と言う訳でどの調に行っても大丈夫なように
全ての音列の箇所を同じ周波数比に均したものを
平均律といいます。

(かなりザックリとした説明ですみません。詳細を書くと長いので・・)

しかしこの平均律は本来の協和周波数比率と
微妙にズレがあります。

下記が大まかなそのズレっぷり(いわゆるドレミの場合・単位cent)↓


------ド--レ--ミ--ファ-ソ--ラ--シ
平均律 0 200 400 500 700 900 1100
純正律 0 204 386 498 702 884 1088



・・・今まで曲作りには鍵盤も使うから(鍵盤は平均律)
純正律を気にしてもしょーがないと思い詳しく調べなかったのですが
こんなに違うとは・・・・(-ω-。)



しかしこれを良く見るといわゆるドレミ(メジャースケール)に於いては
純正律のほうが「ピッチが低い」箇所が多い!

神経凝らしてピッチを狙ったあげく
やや低いとチューナーに言われてしまう原因は
これだったのかもしれません。(チューナーは平均律)

あー良かった。

・・・いや待った!



もうひとつ疑問が・・・それは「倍音」。

ざっくり言うと・・人がドー♪と発声したとしても
その音の中にはミやソとかさらには微妙な音高も沢山含まれていて
一番デカい音が「ピッチ」として認識されるのですが
(このミやソ等がいわゆる倍音)

この倍音ってやつは人によって出方が千差万別。
(だから声の違いを認識できる訳です)

という事は例えば生まれつき倍音が多い声質の人と
そうじゃない人では「聴感上気持ちよいピッチの値」は違うのでは?

人の声の倍音は極めて複雑なので(虫歯治しただけで変わる)
たまたま純正律のツボにはまる倍音が多い人が居るかもしれない。

そーいう人は倍音が少ない人より、平均律基準でピッチを狙っても
純正律テイストなピッチに聴こえる可能性が高い。

という事は突き詰めて言えば
ギターもクリーントーンと歪ませた音では違うのでは?

多分無茶苦茶微細な値ではあるだろうが、理論上はそうなるなー。



んんんんん・・・・



・・・・もう寝ますzzzzz








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テーマ:楽器 - ジャンル:音楽
今Carole Kingのyou've got a friendを聴いて
かなり切ないイイ感じになっております(笑)岡です。



自分はどうして音楽が好きなのだろう?

う~ん。

多分、世の中にあるもので「2番目」に
ココロが揺れるからだと思うのです。

「1番」は何かと言いますと
ヒトです。

僕は何時だったか、大好きなヒトと一緒に居て
自分が空腹なのも忘れたことがあります。

寝ていないのに眠くもならなかったり。

嬉しすぎて。

トイレに行くのも面倒臭くなったことも。

ずっと隣に居たくて。



逆に心底悲しまされたもの。

やっぱりヒトでした。

胸が痛いというのは比喩だと思っていましたが

ホントでした。

ジワリと痛い。



そして、そんな

「生きるのに必要不可欠では無い」感情を

ココロに仕舞い込んで日々生活していると


「音楽」がそいつを突っついてくるのです。


その仕舞い込んでいた袋は、音楽に突っつかれて
中身が漏れ出すのです。

一度漏れ出した感情はハッキリと解るほど
目の前に表出します。

そこにはいつかのヒト達が居て
また僕のココロを揺らすのです。



・・・結局、「1番」と「2番」は
同じものだったんですねぇ。







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テーマ:音楽 - ジャンル:音楽
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